喪中でのお年玉で気をつけることは?ポチ袋と渡し方について
大切な親族を亡くしてしまったとき、おめでたい行事を行わないことが一般的です。様々な行事の中でも、親戚などたくさんの子どもたちが集まるお正月にお年玉を渡すのは大丈夫?と疑問を持つ方もいるかと思います。今回は周囲に不快を与えることなく渡すための、準備しておきたいこととお年玉の具体的な渡し方を紹介します。
喪中にお年玉を渡すことになったら
喪中にお年玉を渡しても基本的には大丈夫
今では多くの子どもが「お正月にはお年玉をもらえる」と、ワクワクして年を越していますね。お正月のメイン行事の一つと言っても過言ではありません。
そうなると喪中にお正月を迎えたとき、お正月のイメージが強いお年玉はほかの正月行事同様避けるべき風習と考えられそうですが、基本的には「お年玉(お金)を子どもに渡すことに差し支えない」と思う人が主流のようです。
ただし、渡すときに「お年玉」という名称を使わないなどの配慮は必要です。周囲の遺族に不快感を与えないよう努めましょう。
渡すときはポチ袋には入れず無地の白封筒で
ポイントはデザインです。ポチ袋はめでたい柄のものが多く、そういったものは避ける必要があります。
とくに避けたいのはご祝儀袋と同じような水引きのデザインのものです。まためでたい言葉が添えられたものも喪中のお年玉にはふさわしくありません。
ポチ袋は白い無地のものを選ぶと無難です。またポチ袋ではなく、あえて無地の白封筒にしてもよいですね。こうした無難な袋であれば、親戚の子どもにお年玉を渡すときでも「喪中に気を遣っている」という配慮を見せることができますよ。
お小遣いなどに名目を変えて
小さい子どもに渡すなら「おこづかい」がよいですね。「好きなおもちゃを買ってね」と言って渡しましょう。小学校高学年ごろからは「お小遣い」「文房具代」「書籍代」などにするとよいですよ。
こうした心遣いは、子どもにとっても喪中を学ぶよい機会になります。「亡くなった人を想う大切な期間」として伝えると、故人にとってもよい供養になりますね。
もちろん喪中だからといって「お年玉」と書いてはいけないルールはありませんが、故人を偲ぶ意味でも名目を変えたほうが気持ちの整理をつけやすいかもしれません。
喪中にお年玉を渡すことに抵抗を感じたら
おめでとうという言葉は言わずに渡す
しかし多くの子どもたちはお年玉をとても楽しみにしています。そこで、先ほどお伝えしたようなポチ袋を工夫する方法に加え、言葉にも気を遣うことで気持ちの整理をつけてはどうでしょうか?
喪中にお年玉を渡すときは「あけましておめでとう」の言葉を避けます。代わりに渡しながら別の言葉をかけてください。
例えば名目が「おこづかい」なら「好きなものを買って楽しんでね」、「文房具代」なら「必要なものを選んでね」などと、名目にちなんだ声かけをするとよいですよ。
子どもが可哀想という理由で控えない場合も
しかし、パパ側の親戚の不幸は、ママ側の親戚の子どもに関係のないことです。ママ側の親戚があまり喪中のお年玉にこだわりがなければ、なおのことですね。
子どもはお年玉を楽しみにしています。また小さい子どもは喪中がわかりません。それにもかかわらず、大人の常識に巻き込んでしまうのも可哀想です。
こうした場合は、こっそりと「お小遣い」という名目で子どもにお年玉を渡すのも一つの方法です。角が立たないようにふるまうことが大切ですよ。
それでも抵抗があれば服喪期間を過ぎてから
喪中はいつか明けます。期間が過ぎれば気兼ねなく子どもにお年玉を渡すことができますね。ただ正月が過ぎているので「お年玉」という名称では不自然になりますが、子どもにとっては関係なく嬉しいものです。
また、このように喪中を意識することで、子どもにとっても「亡くなった人に対する供養」を学ぶよい機会になります。「供養」という言葉が難しいなら、亡くなった人について会話をするだけでもよいですね。それだけでも故人の供養になりますよ。
小さい子どもは「死」について理解できないかもしれません。それでも「喪中は特別なこと」という意識は身につくものです。
お年玉の目安金額など覚えておきたいこと
お年玉を渡すようになった理由
「お年玉」として大人から子どもにお金を渡すようになったのは近代で、もともとお金とは関係のないものでした。
お年玉の由来は年神様に関係します。年神様はお正月に家へいらっしゃる神様です。
年神様はそれぞれの家の家長に新しい魂を与え、新しい魂をいただいた家長は1年間健康に過ごすことができると信じられていました。この新しい魂を、お年玉と呼んだのです。
家長とは一般的にパパのことで、残念ながらお年玉は家長以外の家族には与えられませんでした。そのため家長は、子どもたちに記念品のような形でお年玉の代わりを分け与えるようになりました。これが今につながるお年玉の始まりといわれています。